「ガチでヤバすぎる」とネットで評されるほど大ヒット番組となった『ポツンと一軒家』(テレビ朝日系/朝日放送制作)。約10年にわたり圧倒的存在として君臨していた裏番組の『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)を視聴率で上回ったことは、テレビ業界である種の「事件」となりました。
『ポツンと一軒家』の企画を提案したのが、放送作家の中野俊成さんです。中野さんはこの企画をどのように思いつき、ヒットさせることができたのでしょうか。
今回は放送作家の中野俊成さんに話を聞きました。
(取材・文:Marketing Native編集部・早川 巧、撮影:矢島 宏樹)
目次
『電波少年』から学んだドキュメンタリーの面白さ
――放送作家というのは、そもそもどんな仕事ですか。
大きくはテレビ番組の企画と台本・ナレーション書きですが、ほかにも編集前のVTRチェックやテロップ案、新聞のテレビ欄の文面作成まで、言ってみればディレクターをサポートする仕事ですね。
――「構成作家」もよく聞きますが、どう違うんですか。
基本的には同じです。昔は、構成作家は番組の企画・構成をしている作家で、放送作家はそれに加えてコントやドラマの台本書きも行うという意思表示の意味合いもありましたが、今はそこまでこだわって使い分けている人は少ないと思います。でも最近は「放送」だけではなく「ネット配信」の仕事も増えてきているので、軸足の置き方で肩書きを変えている後輩は増えていますね。
――放送作家にどうすればなれるのか、一般的にはあまり知られていないと思います。中野さんはどのように放送作家になったのですか。
高校時代にビートたけしさんに憧れて、一緒に仕事をしたい一心で18歳のときに上京してきました。当時は僕もどうすればテレビの仕事ができるのかわからず、途方に暮れていたのですが、たまたま雑誌『ぴあ』の頁の端にあった「はみだしYouとPia」という1行告知で、渡辺プロダクションのお笑い芸人養成所の「座付き作家兼放送作家募集」を目にして、そのオーディションに受かったのがきっかけでテレビの世界に入りました。
――中野さんの転機になった作品は何ですか。
『進め!電波少年』ですね。放送作家として5~6年目だったと思いますが、『電波少年』の演出を務めていた土屋敏男さんとの出会いによって、自分の番組作りに対する考え方が大きく変わりました。
それまでコントの台本を書くことが多かったのですが、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』というドキュメントバラエティ出身の土屋さんと仕事をすることになって「テレビの本質はドキュメントだ」と気づきました。以来、仮にコントのような台本があるものでも、ドキュメント要素が入る余地を探るようになりました。予定調和ではない、何が起こるかわからないドキュメント志向に変わりましたね。
――なるほど、『ポツンと一軒家』もドキュメントですね。
そうですね、衛星写真1枚だけでいきなり訪ねて行くので、そういった意味では完全にドキュメントですね。最近はドキュメント要素がないと、面白いと思わなくなりました。企画を突き詰めていくとき「ドキュメント要素はどこにあるんだろう」と考える癖が付いています。
10年間「ボツ」だった企画が大ヒット番組に化けた理由
この記事は会員限定です。登録すると、続きをお読みいただけます。 ・視聴者ではなく、まず総合演出が面白がるかどうかを考える |