BtoBマーケティングで成果を上げるには、Strategy(戦略)、Structure(組織)、Systems(システム)の3つを意味する「3S(スリーエス)」やSTPを正しく理解し、実践することが重要です。しかし、約40年にわたってBtoBマーケティングに従事するシンフォニーマーケティング 代表取締役の庭山一郎さんによると、日本企業の多くが3SやSTPの重要性をあまり理解しておらず、実践できていないと言います。具体的にはどのように実践できると、成果につながるのでしょうか。
「Marketing Native Fes 2024 Summer」(マーケティング・ネイティブ・フェス)の特別セッション1では、シンフォニーマーケティング 代表取締役 庭山一郎さんと、SmartHR VP of Brandingの岡本剛典さんが登壇。2024年2月にARR(年間定期収益)が150億円を突破するなど、飛躍的に成長し続けるSmartHRの3SとSTPを深掘りしながら、成功するBtoBマーケティングの秘訣を探りました。
(文:和泉ゆかり、構成:Marketing Native編集長・佐藤綾美)
※本記事は、Marketing Native Fes 2024 Summer 特別セッション1の内容について、登壇者の方々の許可を得た上で読みやすく編集したものです。
目次
成果を上げられていないBtoB企業に共通する二つの問題
庭山 私が経営するシンフォニーマーケティングは、BtoBのエンタープライズ企業にフォーカスしたマーケティングのコンサルティング、人材育成、アウトソーシングサービスなどを提供しています。
本日は私のこれまでの経験と最新の知見を踏まえて、BtoBマーケティング成功の秘訣をお話ししたいと思います。
岡本 私はGMOクリック証券でマーケティング責任者を務めた後、2018年にSmartHRに入社しました。最初の1年はマーケティング領域の責任者として活動し、2019年からはコミュニケーションデザイン領域のマネジメントも担当しました。2023年の組織変更後は、これら2つの組織を統合したブランディング統括本部という組織のマネジメントを行っています。
編集部 最初に庭山さんへの質問です。マーケティングに取り組んでも成果が上がらないBtoB企業に足りないものは何か、教えてください。
庭山 日本のBtoBマーケティングは欧米に比べて約15年遅れていると言われています。リーマン・ショック以降、日本企業もマーケティングに取り組み始めていますが、成果を上げられていない企業が少なくありません。
背景には二つの問題があります。一つは経営層の問題で、マーケティング部門の運営経験がなく、適切な目標設定や評価ができていないことです。もう一つは現場の問題で、体系的にマーケティングを学んだことがなく、SEO・ウェビナーなどマーケティング施策の一部に知識や経験が偏っていて、全体的な戦略を立てられない人が多いことです。
どちらの問題も根本には、マーケティングに関するナレッジ不足があります。各部門が連携して全体最適を目指す「マーケティング・オーケストレーション」を行うべきですが、日本企業の多くはナレッジがないためにそれができていません。SEOやウェビナー、展示会など、マーケティング施策の各担当者は、「自身が全体のどの部分を担当しているのか」「自分のKPIが何か」を理解し、受注というKGIとKPIの相関関係について把握する必要があります。
スタートアップはマーケティング・オリエンテッドに設計されている企業が多い一方で、長い歴史を持つ大企業ほど、マーケティングが苦手な傾向が強いと感じます。そうした企業は、良い製品やサービスがあり、強い営業がいれば売り上げにつながる時代を経験しているからです。
BtoBマーケティングで重視すべき「3S」
庭山 このような背景を踏まえた上で、BtoBマーケティングで成果を上げるために重視したいのが、イゴール・アンゾフ博士が提唱した企業経営の要諦「3S(スリーエス)」です。3Sとは、Strategy(戦略)、Structure(組織)、Systems(システム)を表します。
画像提供:シンフォニーマーケティング
日本では多くの企業がマーケティングオートメーションを導入していますが、その大半はおそらく効果的に活用できていないのが現状です。導入に失敗する主な原因は、デマンドジェネレーションのプラットフォームとしての機能を活かせておらず、単なるメール配信ツールとして使用していることにあります。まず「戦略」を立て、それを実現するための適切な「組織」を作り、「何をするための」「誰が使うシステムか」が明確になっていれば、それが「システム」を選定する際の要件定義になるはずですが、そうしたプロセスを踏まずに、いきなり「システム」の導入に走っているのです。
もし、導入したマーケティングオートメーションをうまく使いこなせていないのであれば、今からでも良いので戦略をきちんと策定し、それを実現するための十分な組織を構築していくことが重要です。適切なプロセスを踏むことで、マーケティングオートメーション本来の価値を引き出し、効果的なマーケティング活動を行えるようになるでしょう。
飛躍的に成長し続けるSmartHRの3S
編集部 SmartHRは2022年4月にT2D3(※)を達成し、2024年2月にはARRが150億円を突破するなど、ここまで飛躍的に成長できた背景には、3Sがしっかりとそろっていたことも影響しているのではないかと思います。SmartHRではどのような戦略を描いて組織を作り、どんなシステムを活用しているのか教えてください。
※Product-Market Fitの後、売り上げがトリプル2回、ダブル3回と5年で72倍伸びるのが良いSaaSスタートアップであるとする考え方
岡本 弊社は戦略に合わせて組織を再構築し、適切なシステムを活用することで、効果的な事業展開を図っています。特に戦略は会社として重視しており、事業方針という形で年初のキックオフで発表し、全社員に共有しています。
2023年以降は、マルチプロダクト戦略を掲げています。クラウド人事労務ソフト「SmartHR」では、労務管理機能に加えてタレントマネジメント機能を2019年より提供しており、今後はさらに情報システム部門向けのソリューションも開発し、事業領域の拡大を図っていく予定です。
画像出典:SmartHR「SmartHRがARR150億円を突破、前年比150%で成長」
戦略に合わせて、組織もアップデートしています。マルチプロダクト戦略に合わせて、2024年1月には従来のThe Model型の機能別組織から、プロダクト軸を考慮した組織へと変更しました。
2023年までのSmartHRの組織図(画像出典:SmartHR note「事業を支える、SmartHRのあたらしい組織体制について」)
※一部省略・簡略化されています。
2024年1月以降のSmartHR組織図(画像出典:SmartHR note「事業を支える、SmartHRのあたらしい組織体制について」)
※一部省略・簡略化されています。
具体的には、事業本部と統括本部という名称で組織を分けています。お客さまの規模別にエンタープライズとグロースマーケットに分かれ、それぞれにインサイドセールスやカスタマーサクセスなどの機能が含まれているのが事業本部です。一方、マーケティングやコミュニケーションデザインを含むブランディング統括本部と、事業戦略統括本部は、全事業に対して横断的にサポートを行います。
システムは、マーケティングオートメーションツールのMarketo(マルケト)を中心に活用し、新規顧客の獲得だけでなく、既存顧客との関係を深めるコミュニケーションもとっています。
編集部 1月から組織体制が変更になり、半年ほど経過して連携のしやすさなど変化はありましたか。
岡本 組織連携がしやすくなり、以前よりも機動力高く動けるようになっていると感じます。元々は、インサイドセールス、セールス、カスタマーサクセスといった部門が組織単位で分かれていたため、既存顧客に関する情報の連携が難しくなっていました。現在は一つの組織にまとまったことで、同じティア(階層)の顧客に対する情報共有が速やかにできるようになりました。
庭山 SmartHRさんは戦略や組織を変革しなければならない局面もうまく乗り越えてきたからこそ、成長し続けているのでしょう。
「戦略立案」「組織構築」「システム選定」のポイント
編集部 続いて庭山さんに質問です。戦略立案や組織構築、システム選定のポイントは何でしょうか。
庭山 効果的なマーケティングを実現するには、戦略、組織、システムそれぞれにおいて適切な選択と構築を行うことが重要です。一つひとつ説明します。
戦略立案
マーケティングにおいて重要なのはやはり戦略です。経営戦略を実現するためのマーケティング戦略を立てる必要がありますが、リソースの制限や日本特有の市場環境を考慮しなければなりません。
例えば、アメリカで流行しているマーケティングのトレンドを日本でそのまま真似できるとは限りません。また、海外で使用されているマーケティングツールの中には日本で利用できないものも多く存在します。
経営戦略に沿うことはもちろん、自社で活用できるリソースを組み合わせて構築することが、戦略立案の一つの重要なポイントと言えるでしょう。
岡本 良い戦略を作るポイントはありますか。
庭山 KGIとの連携を意識することです。コンサルティングをしていると、マーケティング活動と売り上げや受注との関連性が明確になっていない企業が多いと感じます。
例えば、Web担当者の中には、ページビューやセッション数などの指標は把握していても、Webサイト経由の案件数はわからない人がいます。同様に展示会担当者も、ブースの来場者数、収集したアンケート数などは詳しく説明できても、展示会経由の受注件数や売上金額までは把握していないことがあります。
KPIとKGIとの関連性が切り離されてしまうと、マーケティング活動の価値を示すことは難しいので、KGIと関連性のない戦略は策定しないようにしましょう。
組織構築
日本ではBtoBマーケティングを体系的に学んだ経験者が一般的に少ないことから、組織構築は特に難しいかもしれません。マーケティング戦略の実現にあたって発生する業務を整理し、業務の難易度のほか、ノウハウの蓄積や生産性の向上などの優先事項を踏まえて適切な人材を選ぶことが大切です。また、マーケティング部門を新設する際は、マーケティングと営業の意思疎通をスムーズに行う観点から、半数以上を営業経験者にすることを推奨しています。
システム選定
システムを選ぶ際のポイントは、どこで、誰が使用し、何を実現したいかということです。グローバルでビジネスを展開しているお客さま向けにマーケティングツールを選ぶとしたら、グローバルで使えるものにします。また、長期にわたってスコアリングを行いたい場合は、ログを長期間保有できるツールのほうが良いでしょう。
「勝てる市場」を選ぶ、正しいSTPの活用法
編集部 庭山さんが3Sと同じくらい重要としているのが、「勝てる市場を選ぶこと」です。勝てる市場を適切に選定する方法を教えてください。
庭山 フィリップ・コトラー氏の提唱した「STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)」を正しく使うことです。しかしながら、STPほど広く知られているのに、使いこなせている人が少ないフレームワークはないと思います。
よく「商材が多く、STPを行う余裕がない」と説明するマーケターがいます。しかし、これは大きな誤解で、STPは製品やサービスごとに行うものではありません。狭い範囲でSTPを実施しても、適切なターゲットセグメントを見つけるのは難しいでしょう。STPは自社の事業が解決できる課題、つまり提供できる価値の定義(DoV:Definition of Value)から始め、その価値を求めている層を特定するべきです。
また、特にBtoBのSTPの場合、セグメンテーションを業種や企業規模、所在地などの二次元的な属性情報だけで行っても、あまり役に立ちません。そこで私たちが推奨しているのは、「3Dセグメンテーション」と呼ぶ独自の方法で、企業の「状態」に着目してセグメントを行うことです。STPをより効果的に行えると考えています。
岡本 企業の「状態」に着目したセグメンテーションは、弊社の取り組みにも当てはまると思います。
「SmartHR」は、ローンチ以来、状況に応じて戦略的にターゲットを変更しています。ローンチ当時は目新しい製品だったこともあり、新製品に対する情報感度が高いIT業界で従業員数100人以下の企業を中心にアプローチしました。その後プロダクトの成長に伴い、提供ソリューションが最も適合する業界を分析してフォーカスしたのが、飲食や小売業などの従業員数が多く拠点が分散していて、入社・退社が頻繁に発生する業界です。ペーパーレスかつクラウド上で手続きを行える点をアピールしました。
次の段階では、プロダクトが対応可能な企業規模を拡大し、数千名規模のエンタープライズ企業へと攻略の対象を広げています。また、関東首都圏だけでなく関西地域に注力するなど、エリア別のアプローチも行っています。
さらに、コロナ禍におけるリモートワーク普及時には「入社手続きをテレワークで」とうたったCMを公開するなど、社会情勢の変化に応じたアプローチも採用しています。
このように、時代や状況に応じて、最適なターゲットセグメントを見いだし、それに合わせたSTP戦略を柔軟に展開してきました。基本的には半年や1年といった事業計画のタームに合わせてSTPを見直すことが多く、加えて経営陣と現場が情報交換をしながら、リアルタイムでチューニングを行っています。
庭山 SmartHRさんがとった戦略のように、スタートアップ企業は小さな市場からシェアを広げていく方法が有効です。徐々に規模を拡大し、システムを充実させてエンタープライズ企業を狙っていくこれからが正念場だと思います。
一つ例をお話しすると、人事給与システムで大きなシェアを獲得していた企業がタレントマネジメントシステムを作ったところ、なかなか売れなかったため、弊社にご相談いただいたことがありました。分析してわかったのが、どうやらアプローチすべきターゲットが異なるということです。もともとアプローチしていたのは人事部門の担当者で、どちらかと言えば保守的で、現状維持を好む傾向にありました。そのため、既存のシステムを大きく変えるタレントマネジメントシステムはあまり受け入れられなかったのです。人事部門ではなく、「現状を変えたい」と考える経営企画部門の担当者をターゲットにしたところ、製品が売れるようになりました。
今後は製品の機能や顧客が直面している課題を十分に考慮し、適切なターゲットセグメントにフォーカスしたマーケティング戦略を展開することが重要になるでしょう。
岡本 まさに同じような課題に直面しています。労務管理機能を提供していたローンチ当初は、労務担当者向けに生産性の向上という価値を提案していましたが、タレントマネジメント機能を提供するようになってからは、経営層にアプローチしないと話が進みづらいことがわかってきました。
庭山 叩くドアを間違えると全く売れないので、「変えたい」と思っている人を探し出し、そこにアプローチしないといけません。
編集部 SmartHRが今後ARR200億円を目指す上での展望があれば、教えてください。
岡本 やはりマルチプロダクト戦略が肝だと考えています。これまでは人事労務領域の延長線上で戦ってきましたが、今後はブランドアセットを持っていない情報システム領域に進出します。ゆくゆくは情報システム以外の新たな領域にもプロダクトを拡大していくことになるでしょう。これまでよりも広い視点でのSTPが必要になってくると思います。
また、部分最適と全体最適をバランスよく進めながら、最終的には「バックオフィス領域をサポートするSmartHR」というブランドイメージやコミュニケーションを社会に浸透させていき、「SmartHR」という強力なブランドを構築することが、私たちの大きなテーマの一つであると考えています。
画像出典:SmartHR note「これからのSmartHRの話をしよう─資金調達を経て目指したい、業務効率化の先の世界」
編集部 最後に、今回の話を通じて伝えたいメッセージをお願いします。
庭山 日本企業に最も不足しているのはマーケティングに関するナレッジだと思います。知識を適切に学び、実践することで、市場開拓の可能性は大きく広がっていくでしょう。今こそマーケティングのツールではなく、ナレッジに投資を行うべきだと考えています。
私の7冊目の著書『儲けの科学 The B2B Marketing』は、経営層から現場の人まで「マーケティングとは何か」を理解できる内容になっています。もしよろしければ手に取り、「自分たちに足りないもの」を見つけていただければ幸いです。
岡本 BtoBやBtoCなど事業形態を問わず、短期間で事業を急成長させる上で、マーケティングは有効かつ必須と考えています。
3SやSTPなど、いろいろな話をしましたが、いずれもあくまで方法論にすぎません。重要なのはやはり事業の成長性で、つまりは売り上げへのコミットメントです。それを実現するために、「マーケティングにおいてどのようなKPIを設定し、達成するには何が必要か」を考えることが重要です。その上で、計画を適宜見直しながら日々の活動に取り組んでいくことが大切だと思います。
編集部 お二人とも本日はありがとうございました。
Profile
庭山 一郎(にわやま・いちろう)
シンフォニーマーケティング株式会社
代表取締役。
1962年生まれ、中央大学卒。1990年9月にシンフォニーマーケティング株式会社を設立。データベースマーケティングのコンサルティング、インターネット事業など数多くのマーケティングプロジェクトを手がける。1997年よりB2Bにフォーカスした日本初のマーケティングアウトソーシング事業を開始。製造業、IT、建設業、サービス業、流通業など各産業の大手企業を中心に国内・海外向けのマーケティング&セールスのアウトソーシングサービス、研修サービスを提供している。IDN理事。中央大学大学院ビジネススクール客員教授。早稲田大学 WASEDA NEO 講師。
岡本 剛典(おかもと・たかのり)
株式会社SmartHR 執行役員 VP of Branding。
2009年にGMOクリック証券株式会社入社。デジタルからマスマーケティングを統合したマーケティング・ブランディング戦略の策定、実行を担う。2018年にマーケティング責任者としてSmartHRに参画。2019年よりマーケティング・ブランディング・コミュニケーションデザイン領域で事業成長に貢献。