ベイジ代表の枌谷力さんが昨年(2021年)11月に投稿したツイートに驚きました。社内勉強会にゲストを招いてキャリアの話をすることがあり、社員にオススメの転職本を紹介することもあるというのです。
ツイートには「本心は他の会社に転職してほしくない」とありますが、会社の代表が転職について想起させる本を勧めるなど、あまり聞いたことがありません。その真意は何か。枌谷さんのところに伺うと、ツイートの内容以上に驚くべき話を聞くことができました。
(取材・文:Marketing Native編集部・早川 巧、撮影:矢島 宏樹)
※ベイジ社内勉強会資料は記事の最後にあります。
目次
綺麗事でないキャリア論に真剣に向き合うべき理由
――このツイートを拝見し、驚きました。社内勉強会でゲストを招いてキャリアの話をしたり、会社の代表自らおすすめの「転職本」を紹介したりするのは異例だと思います。社員が外部の人と接触するのを嫌ったり、囲い込もうとしたりする代表の話は聞きますが、枌谷さんはいつから、どんなきっかけでキャリアの話をするようになったのですか。
「いつから」と正確な時期があるわけではありません。デザイナーやエンジニアとの1on1で仕事や将来の話をすると、自然とキャリアの話になることがよくあります。社員は5年後、10年後、あるいは20年後かもしれませんが、いつかは会社を辞めるわけです。現在もすぐそばにベイジ以外の働く選択肢があります。その事実に触れないまま、ベイジにずっと所属している前提で話をしても、綺麗事に聞こえるおそれがあります。「ずっとこの会社にいるつもりはないのに」と思っているかもしれません。それならば一層、いつか辞めることを前提に、一般的なキャリア論に触れて話したほうが、今の仕事に意義を見いだし、ベイジの中で何を学ぶべきかをしっかり考えるきっかけになる気がしています。
――大胆に踏み込みましたね。すごいと思うと同時に、いくら会社の代表でも、そこまで社員の人生の面倒を見てあげないといけないのかと思ってしまいます。
「社員の人生の面倒を見る」というほどに大袈裟には捉えていません。でも、社員のキャリア形成に会社が大きく関係するのは事実ですよね。それはある意味、「UX」と考え方が似ているかもしれません。プロダクトのデザインを考えるときに、ユーザー体験全体で捉えることが大事なように、今の会社で働く意義を考えるときに、社員の人生、ライフエクスペリエンスから落とし込まないと説得力が生まれない気がします。
――なるほど。ただ、キャリアをよく考えた結果、辞めるという決断をする社員もいると思います。採用を積極的に行う一方で、せっかく大切に育てた社員が辞めていくのはつらいと私が経営者なら感じるでしょう。だから社員が外部と接触するのを嫌がる代表も少なくありません。枌谷さんも大切に育てた社員に辞められると、つらいという感情にならないですか。
つらくないと言ったら嘘になりますが、辞める辞めないは本人の自由ですからね。辞めてほしくない人に辞められたとしたら、それは会社に何かが足りなかったということなので、制度を整えたり改善したりするしかありません。人がスイッチするのは市場原理ですし、それが嫌なら自分たちを魅力的にするしかない。この考え方はマーケティングと同じですね。もちろん、時代背景もあります。外部との接触を制限したところで、SNSを見れば他社の情報は容易に入ってきますから。情報統制などできない時代です。それならば、「それでもベイジにいたらこんなに良いことがあるよ」と、客観的な視点からフェアな話をするのが、採用や育成における正攻法だと思うのです。
――それだけ自分の会社に自信があるということですか。
社員がベイジで働き続けたくなるにはどうすればいいか、とずっと考えて仕組み作りをしています。もしも自信がなく不安な部分があるなら、それは仕組みを改善するしかない。このように仕組み作りに注力しているのは、「辞められたら嫌だ」という、私の恐怖心から来ている部分もありますね。
――社員が辞めることに対する恐怖心自体はあるのですね。
もちろん、「辞めてしまったらどうしよう」という怖さは常にありますよ。月曜の朝イチに「お話があるのですが」とチャットが来たら、それは怖いですよね。ただ、社員が辞めようと考えるのは、何かの問題が露呈しているからだと思うんです。それに対して私ができることは、その問題を見つけて解決していくだけ。社員が辞める怖さに立ち向かう方法は、情報統制ではなく、会社の仕組みを整えたり、キャリアに関する一般的な事実を伝えたりして、ベイジでの仕事に意義づけをし、魅力を感じてもらうこと。これしかないと思っています。
クリエイターが陥りがちなスキルベースの罠
――社内勉強会にゲストを招いてお話をしていただいたとのことですが、どんな方をお招きしたのですか。
社内勉強会におけるゲストトークの取り組みは、昨年(2021年)から月1~2回のペースで開催していまして、キャリアについては3部作の形で行いました。1回目が私のキャリア論、2回目はインサイトフォースの山口義宏さん、3回目がミルボンの竹渕祥平さんです。
私と山口さんの考え方はかなり似ています。ただ、私の場合、よりクリエイターの実務を前提としたキャリア論について話しました。具体的には、クリエイターのキャリア形成における以下の3つのタイプの話です。
- スキルベース
- ポジショニングベース
- コミュニケーションベース
スキルベースは、スキルをひたすら高める、スキル中心のキャリア形成です。長所はスキルを武器に働く場所や環境を自分で選べることです。課題はその分野における上位数%に入るくらい努力しないと成立しにくいこと。あと、その分野が時代遅れになることもリスクです。例えば、Webデザインのトッププレイヤーまで上り詰めても、Webを人力で作るということ自体をしなくなったら、そのスキルの価値は、少なくとも市場では失われてしまいます。
ポジショニングベースは、ポジション取りの妙でキャリアを勝ち取る生き方です。例えば「金融専門のデザイナー」などとサブカテゴリを作って希少価値を高めるなど、専門分野と異分野の掛け算で自分が勝てるポジションを見つけてキャリアを作ります。長所は上位数%ほどの高いスキルを持っていなくても収入を上げられること。あとは専門分野が衰退しても他領域に移行する余地があることです。課題は複数分野に手を広げるうちに、スキルが中途半端になりやすいことでしょうか。
コミュニケーションベースは、専門性、マネジメント、コミュニケーションなど各分野を掛け算させて、社内、経営層らの信頼を積み重ねながらキャリアを作る生き方です。「あの人とは仕事がしやすい」「いろいろと相談しやすい」という立場を築き、評価を高めていきます。長所はスキルや知識を極限まで高めなくても、高い年収を獲得できること。課題は専門分野だけでなくマネジメントやコミュニケーションを学ぶ必要があること。あとは若いときに評価されにくく、頭角を現すのがキャリアの中盤から後半戦になりやすいことでしょうか。若い頃に専門分野で芽が出なくても、35歳から40歳くらいでマネジメントやコミュニケーションのスキルを身に付けて活躍し始めることもあります。
この3つのどれが正しいかではなく、自分はどのタイプに向いていて、どういう組み合わせでキャリアを作るのがいいかをきちんと考えましょう、と社内勉強会で話しました。
――枌谷さんから「キミはこのタイプが向いている」という話はするのですか。
1on1のときに「こういうタイプのほうが向いているのでは?」と話すことはあります。クリエイターの多くは基本的にスキルベースでキャリアを作っていこうとしがちなので、「スキルベースのまま進んで、上位数%に入ると思いますか?」「年を取ったときに大丈夫ですか?」と投げかけることで、キャリアについて考えるきっかけを作っています。もちろん、決めるのは本人なので、私はあくまで投げかけるだけですが。
ベイジではデザイナーに対しても、進行管理や教育の仕事をよくお願いします。しかし、スキルベースの考え方しか持っていないと、管理や教育の時間を無駄と捉えてしまいかねません。「もっと自分で手を動かして仕事をしたい」という思いに囚われて、最悪は辞めたいと思ってしまいます。でもそれが本当はその人の力を引き出せる、その人自身が自己肯定感を高められるキャリアであることも、あるはずです。こういう不幸なミスマッチを起こさないために、第三者による客観的なキャリアの話は必要なんじゃないかと思います。
――耳の痛い人が多そうです。社員の年齢層はどんな感じですか。
多くは20代です。だから今はスキルベースのキャリアイメージに課題は感じないかもしれませんが、人を教えたりチーム全体を動かしたりしながら結果を出す経験が、30代後半から40代で活きてきます。「将来役に立つから、指導やマネジメントの経験もしておいたほうがいい」という言い方だけでは説得力がないときに、キャリア形成の3つのタイプの話をしたりします。「将来コミュニケーションベースにシフトしようと思ったときに、人に教えたり管理したりして自分が手を動かさずに仕事をした経験が活きるよ」「今は望んでいなくても、あとになって経験しておいて良かったと感じる可能性はあると思うよ」と話すと、腹落ちして前向きに取り組んでくれたりすることもあります。今の仕事の必然性や重要性を語るのに、キャリアの話は避けて通れないんですよね。
――クリエイターの方はひたすら専門性を追求して、ポジショニングベースやコミュニケーションベースの生き方は苦手なのかと思っていました。
偏ったキャリアイメージしか持っていないと、無駄に迷いが生じたり、やりがいを見いだせなくなったりしがちです。最終的には本人が決めることですが、視野を広げるきっかけは与える必要があると思っています。上位数%のスーパープレイヤーではないと薄々感じながら、スキルベースでありたいという考え方に固執し、コミュニケーションやチームワークが苦手なまま40代を迎え、望まない転職をするクリエイターをしばしば見てきました。そうなりたくないなら、キャリアについていろいろな人の話を聞いて、しっかり考えたほうがいいと思います。
あと、最近は「CxO」の肩書が付いた人を目指すクリエイターも増えていますが、CxOになるような人って大体、コミュニケーションベースの傾向が強いですよね。経営層とコミュニケーションを取ったり、チームを編成して育てたり。最高のクリエイティブというより、組織特性を踏まえて、現実的な落としどころを見つけながらアウトプットすることのほうが多い。こういうキャリアを歩むには、マネジメントやコミュニケーションスキルを磨いておくことが不可欠なのですが、これはスキルベースの先にはないんですよね。このような現実との認識の乖離も、偏ったキャリア観を持っていると起こりがちです。
引用:株式会社ベイジ 社内勉強会用資料「クリエイターのキャリア論」
20代のうちに貯めておきたい4つの「資産」
――社内勉強会用の資料にある「キャリアデザインの基本法則」とは何ですか。
キャリアには計画的に積み上げられる面だけでなく、偶然に左右される面もあるので、両方を考えておいたほうがいい、という話です。結婚や出産、子育て、親の介護、あるいは自分の病気など、ライフイベントやライフステージによって十分に働けなくなることがあります。そんなときに備えて今から「キャリア資産」を作っておくことが大切だという話をしています。キャリア資産とはお金だけではなく、知識やスキルなどのナレッジ資産、人脈のようなコミュニティ資産、評判のような評価資産なども含まれます。こうした資産を蓄積しておけば、キャリアに不利なライフイベントが起こったときでも、キャリアが維持できるのではないかと思っています。
――まさに家族ですね。社員の反応はいかがですか。
日報を見る限り、基本的にはポジティブに受け止めているように思います。あとは「今までキャリアのことを真剣に考えていなかった」と危機感を覚えた人もちらほらいますね。実際、多くの人はキャリアのことはあまり考えたくないというのが本心かもしれません。
――そうなんですよ。キャリアの話って、若いうちは無限の可能性がある気がして、「今から将来を考えて枠を狭めたくない」などと思いがちです。
自分のキャリアと真剣に向き合うのは怖いし、見たくない現実を突きつけられる気もしますよね。でも実際には、キャリアのことを考えないほうがキャリア上のリスクになる気もしています。自分だけの思い込みで可能性を自ら閉ざしてしまったりとか。ただ、社内勉強会でキャリアの話をしたからといって、全員がすぐ「自分もキャリアのことを考えてみよう」となるとは思っていません。将来、キャリアのことを真剣に考えなければならなくなったときに、「あのとき枌谷さんがこんな話をしていたな」と思い出してくれれば、それでいいと思っています。
私のキャリア論は、今40代である自分の過去の経験に過ぎません。今の20代に当てはまるのかという問題はあります。こういうことを考えだすと何も言わないほうがいいのかもとも思いますが、それでも私は、押しつけがましくない範囲で積極的にキャリアの話をしたほうがいいと思っています。何も言わないというのは、情報ゼロなんです。何かしら伝えれば、全部は参考にならなくても一部は参考になるかもしれません。あるいは反面教師として参考にできるかもしれません。本当に不要な話なら、捨てればいいわけです。どう受け取るかは本人次第。なので、「私の経験は話せるだけ話すけど、鵜呑みにせず、最終的には自分で考えてください」と伝えるようにはしています。
――キャリアの話といっても、転職を推奨するわけではなく、自分の将来設計をよく考えた上でベイジを選んでほしいという意味なのですね。
そうですね。よく考えた上でベイジを選んでほしいし、今の仕事に意義を見つけてほしいです。目の前の仕事を「指示されたからやっていること」と受け取られるより、キャリアから逆算した意味や意義を理解して取り組んでくれたほうが、会社としても助かります。
「世界を変える」より「自己実現」にフォーカスする
――わかりました。では、そんなベイジに興味を持って社員募集に応募してくる人を採用する際、何を重視していますか。
最近は社員に面接を任せているので、私が直接関わるケースは減っているのですが、スキルの高さより社員と調和して仲良く仕事ができるかどうかをより重視しています。スキルが重要なクリエイター職であっても、長い目で見ると周囲とうまくやっていけることのほうがより重要だと思います。
――応募者にベイジの説明をする際、他社より優れている点として挙げているのは何ですか。
優れているかどうかわかりませんが、会社のキャラクターと社員のキャラクターが比較的噛み合っている感があって、それは会社の良さではないかと思っています。単純に仲が良いとかではなく、事業を成長させていく上で重視している価値観や姿勢と、社員がキャリアを作っていく上での価値観や姿勢が、割とうまく調和している気がします。
例えば、ベイジはベンチャー企業によくある「世界を変えよう」「ナンバーワンを目指そう」というコミュニケーションを社員に取っていません。そういう姿勢を社員も好んでいる印象があります。
――そうなんですか。取材をしていると「世界を変えよう」みたいな会社が多い印象があるので驚きです。
私自身が世界を変える系メッセージにしっくりこないんですよね。これは私だけじゃなくて、そういうメッセージにしっくりこない人は結構多いんじゃないかな、と思っています。
誤解されないように付け加えると、「世界を変えよう」「社会を動かそう」というミッションを持って活動している会社や人のことは、素直に素晴らしいと思います。そういう人たちがいるから世の中が発展していくのだと思っています。
一方で自分を動かす言葉として、「世界」や「社会」というのは話が大きすぎて、リアルに感じ取れなかったりします。それより、目の前のお客さんを喜ばせるとか、周囲で一緒に働いている人を助けるとか、そういう身近な視点のメッセージのほうがモチベーションにつながりやすいのです。そしておそらくうちの社員もそういう人が多い気がしています。先日、社内でミッションを考えるワークショップを行ったのですが、そのときも「世界を変える的なのはどう?」と聞いたら全員即答で「ピンときません」という反応でした。
会社と社員の価値観が嚙み合っていると感じるのはこういう部分です。世界を変えるより前に、まず身近な人に貢献したい。世界は変えられないかもしれないけど、周囲の人に感謝されながら自己実現したい。私自身もそうですし、社員の多くもそういう目線でキャリアや仕事を捉えるほうが自然なんだと思います。
――とはいえ、今はまだ大丈夫でも、社員数が50人、100人規模になったときに、そのような価値観の同質性を維持できるものでしょうか。
私は基本的には楽観主義者なので、「社員数が増えて問題が生じたらそのときに考えればいい」くらいの気持ちでいます。実は社員数が30人を超えたので、あらためてミッション・ビジョン・バリューを作り直そうとしているのですが、これまでの価値観を大きく変えるつもりはなくて、今の社員にとってしっくりくる価値観をベースに、言葉だけ磨いていければと思っています。採用基準も自然とその価値観に沿ったもので、変わらず慎重に採用は続けるので、大きくカルチャーが変わるとはあまり思っていません。もしも予想が外れて変わってしまい、問題が起こってしまったら、そのとき考えればいいかな、くらいに思っています。
こういうスタンスなので、ベイジの成長や拡大はゆっくりなんですよね。そんなことも含めてベンチャーではないという話をしています。うちの会社はベンチャーと名乗るには歩みが遅すぎるし、スタンスが保守的だと思います。でもその代わり、組織を壊さないように丁寧に経営していく、というのは心がけています。
――少し気になるのは、枌谷さんのTwitterなどに影響されて入社する社員の方が多いのではないかと思っていて、社員数が増えて枌谷さんと気軽にコミュニケーションを取れなくなったときに、寂しさを感じて離れていく人はいないでしょうか。
SNS上では私の印象が強いかもしれないですが、会社の業務自体は私が直接関与しなくても問題なく回るようにほぼ整っていて、私以外に優秀なメンバーも揃っています。なので、私が直接全社員と密に1on1をしなくても大丈夫な状態にはなっています。
とはいえ、時々社員と交流する機会は定期的に設けるつもりで、コロナの感染者数が落ち着いていた昨年(2021年)末には3週連続で懇親会を開いたりと、そんなところで人間的なつながりは持っていこうとは思っています。
――3週連続の懇親会で新たな発見はありましたか。
リアルで話す大切さをあらためて感じました。リアルで話す関係があるからリモートワークがうまくいくのだと思いましたね。フルリモートワークでうまくいっている会社もありますが、ベイジについてはリアルとリモートワークをミックスさせたほうが良さそうと実感しました。
あと意外とうちの社員はドライそうに見えて、案外ウエットな付き合いを求めているのだな、という気づきもありました。
思うに、オフィスにみんなで集まって仕事をする時代は、ウエットな人間関係の中で仕事をするのが通常でした。その上でさらに飲み会などで「もっとウエットになろう」と強要されるから、「そこまでいくと苦痛」というふうになるのだと思います。ところが、リモートワーク主体になると、ベースがドライな関係になります。その反動で、食事会などのイベントを以前よりも希望する社員が増えた気がします。最近は「社員旅行がしたいです」と社員から言われることがあります。昔は、社員旅行なんて提案したらみんな嫌がると思って自分からは言わないようにしていたのですが(笑)、変わりましたね。
――枌谷さんご自身も転職を経験していますが、そもそも若いうちに1回は転職したほうがいいとお考えですか。
転職を経験する意義はあると思いますが、「転職したほうがいい」という思い込みは良くないとも思います。今は転職することが過大評価されている気がして、1つの会社の中で大事に働いていくキャリアにももっと光を当てるべきだとも思います。キャリア3部作の3人目にミルボンの竹渕祥平さんに話していただいたのは、竹渕さんが転職をせずに1つの会社の中でキャリアアップして社内の重要なポストまで上ってきた人だからです。今は「1つの会社にいると茹でガエルになる」みたいに転職しないとリスクであるかのような話が目につきやすいですが、10~20年、1社でしっかり働くという重要性ももっと語られるべきです。
そもそも、転職って実はリスクも多いですよね。転職すると人間関係がリセットされますから、コミュニケーションベースのキャリアが向いている人は、わざわざ得意領域を捨てる形になりかねません。転職は少ないほうがいいタイプの人が転職至上主義の考えを変に受け入れてしまうと、逆に望まないキャリアを歩んでしまう気もします。竹渕さんもおっしゃっていましたが、転職しなくても外部の人と交流したり、社外の勉強会に参加したりすることで、刺激を受けたり、視野を広げたりはできます。だから転職せず1社の中で働き続けることを必要以上に不安に思わなくても大丈夫だと思います。
「パスポート/ベイジ」で広がる新しい会社の形
――枌谷さん自身についてお聞きします。キャリアの次のステージはどうお考えですか。
会社を起業した当初は、社員数10人くらいの規模でいようと思っていたのですが、10人で成長を止めるというのは実は難しく、であれば次は30人かなと思っていたら、意外に早く30人を超えました。ほかにもクラウドやシステム開発に強いクラスメソッドさんと資本提携したりと、いろいろな変化がコロナ禍の2年間に起こり、私自身が予想していなかった形に会社が進化してきたと捉えています。
次のステージについて考えると、会社は拡大できるならこのまま拡大していきたいと思います。組織の階層設計なども50~100人規模になっても耐えうるものを作ろうと取り組んでいます。ただ先ほど申し上げたように、組織や社員に過剰な負荷がかかることは避けたいです。今の基本的な価値観やカルチャーを失うような規模拡大は望んでいません。可能なら成長するけど、あくまで無理はしない。背伸びはするけど常にジャンプしないといけない状態は選ばないということです。
事業としては、ベイジが持つマーケティングに根差した戦略思考と優れたWebを作る技術を転用させて、さまざまな分野に貢献していくことを思い描いています。例えば、社会インフラとなりえるようなアプリケーションのUIを手掛けたりできるとうれしいですね。
一方で組織としては、コロナ以前の古い固定観念はどんどんなくしていって、これから先の在り方を模索していきます。例えば最近では地方在住者の採用を始めていますし、正社員以外の雇用形態や、労働日数・労働時間に柔軟性を持たせた勤務形態の人も組織に組み込むなど、ベイジとベイジ以外の境界線を徐々に曖昧にしていくことを考えています。
――境界線を曖昧にするとはどういうことですか。
1つのアイデアとして「パスポート/ベイジ(仮)」というオンラインサロンの計画を進めています。月額数万円で顧客情報を除くベイジの社内情報のすべて(社内Wiki、動画、ドキュメントのテンプレートなど)にアクセス可能になるほか、すべての社内勉強会に参加できたり、希望する社員と1on1で相談したりなど、いわば「半分ベイジの社員になれるサブスク」です。このサービスによって、社員と社員でない人の境界線が曖昧になっていきます。
ベイジの社員も外部の人たちとのシームレスなつながりができるし、外部の人はベイジのビジネスにコミットしなくてもベイジの文化圏に入ってこられて、都合のいいところだけをつまみ食いして自分がしたい仕事ができるようになります。これが実現すれば、社員を囲い込むような旧来の会社の在り方から脱却できるのでは、と考えています。
――興味深いアイデアですね。社内と社外の境界線を曖昧にして、自由度を利かせることで社員のリテンションにつなげるということですか。
もちろん、何もかも自由にするわけではありませんが、社員を囲い込む高い壁を作るより、外界との壁を低くしたほうが社員は辞めないのではないか、という発想です。ベイジにいる限り、人間関係と経済的な安定を担保しながら、外の世界の人ともシームレスにつながれるとなれば、「そんな会社は滅多にないからベイジにいよう」と考えてくれるようになるのでは、と期待しています。
――境界線をなくすことに不安はないですか。社員が調和して密なコミュニケーションを取るところにベイジの特徴があると思ったのですが。
社外と社内の壁が低くなるから、社内の文化が変わる、という不安はあまりないですね。採用基準が変わるわけではないですし、一緒に仕事をしやすく、価値観が合う仲間同士が仕事をするという点に変わりはありません。社員の側から見た「パスポート/ベイジ」のメリットはあくまで、ベイジに所属しながら外部の人と気軽にコミュニケーションを取れるようになる、ということですから。
――外の世界を知るために、わざわざ転職して壁の外に出る必要がないという。
まさにそうです。壁をなくすと、「出る」という概念を持つ必要もなくなると思います。もちろん、これは理想の姿であって、そこに至るにはいろいろと解決すべき課題があると思いますが、組織論の在り方として、社会と会社が断絶しているのではなく、社会の中に会社が自然に溶け込んでいる存在になるほうが、社員のキャリアにとっても有益であり、結果的には社員とずっと関わりを持ち続けられるような気がしています。
――楽しみですね。私は案外、枌谷さんが「早めにリタイアして世界を旅します」みたいなことをおっしゃるのかと思っていました(笑)
それはまったく興味ないですね。周囲に耄碌(もうろく)したと思われない限りは、できれば死ぬ前日までベイジで働きたいと思っていますよ。今は特に組織をデザインすることが楽しくて、そういう仕事ができていることに喜びを感じます。
――本日はありがとうございました。
★ベイジ社内勉強会「クリエイターのキャリア論」はこちら。
https://baigie.notion.site/07-3a7adbe5376f4540a4c9cdeb55dc6083
Profile
枌谷 力(そぎたに・つとむ)
株式会社ベイジ代表取締役。
新卒でNTTデータに入社。営業職を経験後、Webデザイナーとして転職。2007年にフリーランスとして独立、2010年にベイジ設立。BtoBマーケティング、Web制作、UXデザイン、UIデザインなどを得意とするデザイナー兼経営者。クラスメソッドCDO(Chief Design Officer)も兼任。登壇、執筆多数。
枌谷力Twitter
@sogitani_baigie
株式会社ベイジ
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