JX通信社マーケティングマネージャー・松本健太郎さんの書評連載第7回は、『消費者行動論』(中央経済社)を取り上げます。
「自分が今思い悩んでいることは、とっくの昔に先人たちが考え、答えを出している」と言われます。だから「古典を読め」と言われるわけです。消費者理解や感情分析を研究課題の1つとして追求する松本さんにとって、この『消費者行動論』には日ごろモヤモヤしていたさまざまな課題に対する先人たちの考えやヒントが記されており、思わず「これだ!」と叫んでしまったそうです。
一体どのような「connecting the dots」を体感したのでしょうか。松本さんの寄稿をお読みください。
目次
★今月の一冊
消費者行動論
著:田中 洋
この本を選んだ理由
私がまだ広告効果測定システムの開発に携わっていたエンジニアだったころ、とあるセールスの方がしきりに「古典を読め」「アカデミックな教科書を読め」と薦めてくれました。
非常に嫌味な方だったので、私は持って生まれたへそ曲がり根性を発揮して「逆に読むもんか」と誓ったのですが、ある日立ち寄った古本屋に、偶然にも『目標による広告管理』が置いてあり、なぜか気になって手に取ってみました。驚いたことに(いや当たり前なのですが)、当時悩んでいた効果測定の限界とあるべき姿について、その結論が記載されていたのです。
私が悩んでいることの大半は、既に誰かが同じように悩んでいて、かつ解決している。だから古典や論文を読むべきなんだ、と気付きました。ある先輩からは「それを”巨人の肩に乗る”と言うんだ」と教えてもらいました。これをキッカケにして、それまではアカデミックな領域を「机上の話ではないか」と避けていたのですが、積極的に学ぶようになりました。物事が体系立てて整理され、知識として学ぶことに最適だからです。
学び続けていると、ジョブズが言うところの「connecting the dots」(将来を見据えて、出来事と出来事を結びつけることはできない、後で振り返って見たときにしか結びつけることはできない)を体感するようになります。
例えば、インサイトを仕事にしている時に学んでいた行動経済学が、まさか当時読んでいた阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)と煩悩に紐付くとは思っていませんでした。他にも、消費者理解のお作法を研究していたら、まさか今学んでいるコーチングと認知行動療法(ABC理論)が紐付くとは思いませんでした。まさに”後で振り返って見たときにしか結びつけることはできない”出来事が多数あり、学んで無駄になることなんて1つも無いな、と思うのです。
名古屋市の河村市長がトヨタに謝罪しに行って門前払いを喰らった様を「カノッサの屈辱」と呼べるくらいの教養は持ち合わせていたい昨今。将来なんて気にせず学び続けることで、結果的に知識や教養やスキルを増やせるようになりたいものです。
そこで、今回紹介するのが田中洋先生の『消費者行動論』です。冒頭には「本書は消費者行動論の大学学部・大学院用のテキストであると同時に、マーケティングを仕事としている社会人のための消費者行動論の入門書でもあります」と記載がある通り、私たちマーケターが消費者を理解するのに最適な1冊です。
ただ、書籍の内容を単純に紹介するのも書評らしく無いので、私が本書を通じて味わった「connecting the dots」を紹介したいと思います。
観察に欠かせない感情の網羅
「松本教」の教えとして聞き流してほしいのですが、消費者理解とは「観察を通じて違和感を抱き、その理由を解き明かすことでビジネスにおける仮説を構築する行為」だと考えています。すなわち入り口は「観察」です。
私は、観察の本質とは「ファクトとオピニオンを分けること」であり「ありのままの事実を見ること」であると考えます。起きたことを「そんなことあるわけない」と考えず、事実なんだから起こした原因があるはずだと考えるのが観察です。
以前、ある人から「上長に挨拶したら無視された」と相談を受けました。果たして、これはファクトでしょうか、オピニオンでしょうか。実際に観察してみると「挨拶をした、返事が無かった」がファクトで、「無視された」のはオピニオンでした。そして、実際には「挨拶をしたけど返事が聞こえなかった」だけでした。観察せず妄想に突き進んだら、職場内不和が加速するところでした。
とは言うものの、誰の、何を、どのように観察すべきかが体系立っておらず、戸惑っている人が多いように見受けます。私から見れば「慣れ」の問題と「ナレッジ」の問題であり、年中取り組んでいる事業会社からすれば「何言ってるの?」と思われるかもしれないなぁ、と感じます。定性調査でもやるし、小売の場合は店頭販売を通じてこっそり見るし、特に秘伝のタレがあるわけでも無く、観察自体が「銀の弾丸」でも無く、実際には淡々と行われている印象です。
「訓練でも良いからしてみたい」と言われると自社ブランドと競合ブランドのソーシャルリスニングを薦めるのですが、数が多過ぎると「どれを見て良いか分からない」と言われます。そこでお勧めしているのが「まず感情を探す」ことです。人は事実を前にして、感情を隠せません。好きだとか、怖いだとか、そういう感情を露わにしている「事実」こそ観察しがいがあります。
かつ、自社ブランドが所属するカテゴリとは「真反対のイメージ・感情」を探すようにします。結婚指輪であれば、幸せの象徴なので逆に「嫌い」「最悪」。お酒であれば、没頭没入のイメージなので逆に「興奮」「興醒め」。それらを組み合わせてSNS上で検索すると、どんな事実を前に感情を露わにしているかが分かります。
ところが、こうした手法を提案すると「感情の種類が分からんから無理」と押し返されてしまい、頭を抱えました。ライト、センター、レフトと満遍なくヒットを打ちたいから「感情辞典」のようなものはないか、と追加で相談を受けました。実際にはあるにはあるのですが、どうにも汎用性に欠けるし、辞典なだけに種類も多いのです。
どうしたものか…と考えていたら『消費者行動論』でPlutchik(プルチック)の「感情の環」が紹介されており、思わず「これだ!」と叫びました。
プルチックの分類によれば8種類の基本感情があるとされ、それぞれ4つのペアが対立する感情の構造を作りました。すなわち①喜びー悲しみ、②受容―嫌悪、③恐れー怒り、④驚きー期待です。抽象的に捉えてこの8つで感情が網羅されていると知り、なるほどと思いました。
これを機に、チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ14世がアメリカの心理学者ポール・エクマンと共に研究を重ね、「人間の5つの感情」を開発したことも知りました。
一気に「知らなかった世界」を知るようになり、消費者理解に深みが増したのです。よくよく考えると「感情を抽象化して満遍なく並べたい」なんて絶対誰もが挑んでいる課題です。
事実から何を読み解くか
観察(ソーシャルリスニング)を通じて、束縛の象徴としての「結婚指輪」、社会からの逸脱を表す「お酒だらけの冷蔵庫」などの投稿に出会えるようになります。すると、今度は「事実」を前にして、なぜ人は異なる感情を露わにするのか、という疑問にぶつかります。
当たり前の話ですが、価値観が違うからです。しかも、価値観は0か100かではなく、細かいグラデーションの中に描かれます。例えば親の死を前に、悲しい気持ち、苦しい気持ち、解放された気持ち、せいせいする気持ち…それらが入り混じります。何により重きを置くかがその人の「ひととなり」であり、そこにインサイトのヒントが隠されていると私は思います。
だからこそ、人は何にどのような価値を感じるか、ある程度網羅したいと相談を受けました。プルチックの「感情の環」と重ね合わせれば、消費者理解のテンプレートのようなものが出来上がることになります。
どうしたものか…と考えていたら「消費者行動論」でSchwartz(シュワルツ)の「価値体系」が紹介されており、思わず「これだ!」と叫びました。
自決、刺激、快楽、達成、権勢、秩序、調和、伝統、善行、博識の10個で構成され、円で描かれています。さらに抽象化して、自己超越、保守、自己高揚、変化に対する需要性の4種類に分類されます。例えば肉親の死を前にして感じる価値は調和であり伝統であり善行であり博識であり、それらのバランス配分で「浮かび上がる消費者の顔」は異なります。
田中先生は「消費者行動を理解する場合、そこにどのような価値観が働いて、その消費者はそのような行動を起こしたのかを明らかにするために価値の考え方を用いることができます」と書き記しています。全くその通りだと思うのです。言われてみると「そうそうそう!」となるのですが、この一文を読むまでは自分自身で言語化もできず苦戦していたところでした。
だから、古典もアカデミックな教科書も読むべきなのです。私の悩んでいることなんて、とっくに誰かが解決していて、既に先に進んでいるのですから。
おわり:船中八策のように
諸般の事情で見られなくなっているNHK大河ドラマ「龍馬伝」で、福山雅治演じる坂本龍馬が、これまで出会ってきた人から教わったこと、学んだことを誦じながら「船中八策」を仕上げるシーンがあります。
古典もアカデミックな教科書も、それに近いものを感じています。様々な学びを自らに取り入れ、自分なりに体系立ててアウトプットする。その時には「connecting the dots」が働いて”○○さんの見方”という新たな理論になるはずです。
既に誰かが学んだこと、体系立てたことには価値があります。なぜ、それを積極的に学び、取り入れ、吸収し、新たなアウトプットを出さないのか。と、自分に喝を入れて今月の書評を終わりにしたいと思います。