インターネットが誕生した平成から、デジタルネイティブが活躍する令和へ。時代の移り変わりとともに、マーケターが繰り出す打ち手の選択肢も大きな変化を迎えています。AIやビッグデータをどのように活用すればいいのか、デジタルとリアルの効果的な連携はどうあるべきか、そもそもユーザーの態度変容を促すマーケティングの本質とは何か――。
今回は、インターネットの黎明期から一貫してマーケティングに携わってきた元・花王のマーケターで、現在はアウトブレインジャパンの顧問などを務める本間充さんに話を伺いました。
(取材・文:Marketing Native編集部・岩崎 多、人物撮影:花井 智子)
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Windows95で日本にもインターネットが普及
――本間さんは、日本におけるインターネットの黎明期からデジタルマーケティングに関わっていらっしゃると伺いました。本間さんのこれまでの経歴を教えてください。
1992年に花王に入社しましたが、最初の5年間はマーケターではなくて研究員でした。インターネットに簡単につながる最初のOS「Windows95」が日本で発売されたのは1995年です。日本で一気にインターネットが普及し始め、花王も取り組まなければならないということで、当時、仕事ではなく趣味で社外にサーバーを作っていた私が、1997年にCM制作チームに異動し、Webも担当することになりました。
その頃はまだ、Webサイトを設けることが一流企業の証しのように見られていた時代です。2000年になり、インターネット専門のチームをマーケティング部内に設立することになりました。そして、2015年にコンサルティングファームに転職し、現在は複数の会社に籍を置きながら、企業のマーケティング支援に携わっています。
私がマーケティングに携わり始めた頃は、自社製品のサンプリングにWebサイトのアンケートフォームやメールマガジンを利用し始めた時代です。そこから徐々に、ブランディングや商品のベネフィットを伝えるような、Webサイトの広告コンテンツを充実させる方向へと進んでいきました。2005年頃から「Web2.0」という言葉が使われ始めて、ソーシャルメディアの活用が増えていきました。2000年からの15年間は、毎年のように増えていくWebサービスや新しい技術にマーケターが翻弄された時代だったと思います。
――翻弄されたというのは、マーケティングに求められることが目まぐるしく変化してきたという意味ですか?
確かに表面的には変化していましたが、本質的な変化ではなかったと思います。FacebookやLINEの活用法など、新サービスや技術の把握に四苦八苦して、マーケティングツールとしての本質的な活用法までは深く考えていなかったというのが正直なところではないでしょうか。
しかし、そうした段階はここ数年で収まり始めた気がします。個人情報の規制にまつわる問題がクローズアップされるようになりました。これをきっかけに、とにかくデータを取得するような技術優先の活用法に批判が向かい、もっとお客様目線で広告を考え直す機運が生まれるようになりました。
技術革新で変わるものと変わらないもの
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