生成AIの登場により、市場分析や広告クリエイティブの制作、顧客対応の自動化など、マーケティング領域におけるAI活用も日々進化を遂げています。こうしたAI活用を推進する中で、マネジメント層がしばしば直面するのが、組織全体を巻き込む変革の壁です。AIを利用する環境が整っていても、現場での活用が思うように進まず、対応に苦慮する企業も少なくありません。
「Marketing Native Fes 2025 Autumn」の特別セッション2では、全社的なAI活用が進む日清食品ホールディングスとメルカリ、それぞれの立場から現状と課題、組織変革の進め方について語られました。
登壇者は、日清食品ホールディングス 執行役員 CIO グループ情報責任者の成田敏博さんと、メルカリ AI strategy/ウツワ 代表取締役のハヤカワ五味さん。モデレーターは、パーソルテンプスタッフ 執行役員CMOの友澤大輔さんです。3名による実践的な議論を通じて、AI活用を推進するうえでの心得と、組織づくりのヒントを探ります。
(文:和泉 ゆかり、構成:Marketing Native編集長 佐藤 綾美、撮影:永山 昌克)
目次
日清食品HD:プロンプトテンプレートの共有で導入を推進

特別セッション2では、モデレーターの友澤さんがセッションの趣旨を次のように説明しました。
「本セッションでは、広告やマーケティング施策については触れません。AIを活用して事業や会社全体をどう変革していくか、そのチェンジマネジメントに関する話がほとんどです。広い意味で、事業を成長させるための戦略の話と捉えてください」
まず、成田さんが日清食品グループのAI活用の取り組みを紹介しました。日清食品グループは、GPT-4の登場を受けて経営陣がビジネスへのインパクトの大きさを確信し、約4,000名のホワイトカラー従業員を対象に2023年4月に社内版ChatGPT「NISSIN AI-chat」を展開しました。
導入当初は、多くの企業が直面する「全社員が使える環境を整備しても、ごく一部の人しか使用しない」という壁にぶつかったといいます。成田さんは「当初の利用率は日次で3%から5%と厳しい状況でした」と振り返りました。
そこで利用率改善のため、まずは営業組織とマーケティング組織にフォーカスし、各部門の現場で根付いた使い方を推進することに。ゼロからプロンプトを書くのではなく、個々の担当者が個別業務に特化したプロンプトテンプレートを作成・共有することで、利用率が上昇したといいます。現在は200種類以上のプロンプトテンプレートが存在し、部門間はもちろん、グループ会社間でも共有・活用しているそうです。例えば、グループ会社内の日清食品と明星食品はライバルともいえますが、日清食品のマーケティング担当者が作成したプロンプトテンプレートは明星食品のマーケティング部門でも活用できるようになっています。

「各部門のAI活用事例を社内報で紹介し、活用が進んでいない部門に対しても先進的な事例を共有することで、ボトムアップによる普及活動を推進しました。また、経営トップからは『今後、AIを使わずに業務を進めることが困難になる時代が必ず訪れる。今までのやり方を変えることにフラストレーションがあるかもしれないが、AI活用で業務を変革してほしい』という強いメッセージが発信されました。
現時点では、全社で6割から7割程度の利用率を達成しています」(成田さん)
画像提供:日清食品ホールディングス
また、2025年2月に登場したChatGPTの「Deep Research」機能は、日清食品グループのAI活用をさらに加速させるきっかけになったといいます。
「まず、経営陣の認識が大きく変わりました。『トランプ政権の経済政策を踏まえ、日清食品グループのアメリカにおける今後5カ年のビジネスプランを策定してください』という経営課題をDeep Researchに投げたところ、わずか7分で充実した内容のレポートが出力されたのです。
この結果を受け、役員全員が『AIを使わずに業務を行うことは大きな損失になる。利用率7割程度では話にならず、全員が使えている状態にしなければならない』と危機感を抱くようになりました」(成田さん)
ここでAI活用推進の具体例として紹介されたのが、AI教育に特化したプログラム「NISSIN DIGITAL ACADEMY」です。当初はシステム開発やデータサイエンス、プロジェクトマネジメントなど、幅広いデジタル領域を対象としていましたが、現在は生成AIを中心としたプログラムに再構築されています。
画像提供:日清食品ホールディングス
「生成AIの活用に対しては、肯定的な管理職とそうではない管理職がいるのが実情です。管理職の姿勢が、その組織における生成AI活用の推進度合いを大きく左右します」と成田さんは語ります。
そのため、日清食品グループでは、管理職向けの研修「AI活用リーダーシッププログラム for Manager」を実施。以下の3点のようなメッセージを重点的に伝えることで、管理職のメンバーの意識改革により、組織全体でのAI活用のさらなる加速が期待されています。
- 管理職自身がAIを使うだけでなく、メンバーにAI活用を促すことがマネジメントの重要な役割である
- AIのアウトプットは叩き台であり、人間が責任をもって最終的に判断し、よりクリエイティブなアウトプットにつなげることにフォーカスすべき
- AI活用に長けたメンバーが「AIリーダー」として現場を牽引し、管理職はそれを後押しする役回りを担うべき
日清食品グループの事例を受けて、友澤さんは次のように述べました。
「日清食品グループは歴史ある企業でありながら、AIに対する強い危機感を持ち、組織全体の変革に本気で取り組んでいることがわかりました。マーケティング戦略という枠を超えて、単なる施策レベルではなく、企業そのものが変化していくプロセスを垣間見ることができたと思います」

メルカリ:100名規模の「AI Task Force」が事業成長を推進
続いて、友澤さんが「IT企業であるメルカリは、AI活用もスムーズに進んだのではないでしょうか」と問いかけると、ハヤカワさんは次のように答えました。
「確かにそのような印象を持たれることも多いのですが、メルカリは会社の規模が大きく、社員数も多い上に、多様な人材が在籍しているため、実際には課題や苦労が数多くあります」
メルカリでは、取締役 兼 代表執行役 CEOの山田進太郎氏が2025年6月期第4四半期決算説明会で「2025年12月末までに、プロダクト、仕事のやり方、組織のすべてをAI中心に再構築し、AIの進化を最大限に活用することで、これまでにない成果を目指す」という決意を表明しました。同時に、AIへの対応が遅れれば競争環境下で後れを取る可能性があるという強い危機感も示されたといいます。
この背景について、ハヤカワさんは次のように語りました。
「IT企業だからこそ、AIネイティブな企業が登場した場合、当社と同様のプロダクトがより低コストで、より良い体験で提供される可能性が十分にあります。そうした競争環境に今後入っていく以上、我々も確実に対応していかなければなりません」

メルカリでは、AIの進化を最大限に活用し、AI中心に組織を再構築することを「AI-Native化」と呼び、業務や組織構造を根本から見直そうとしています。これまで人間中心に構成されていた業務の仕組みを、AIを中心とした構成へと再構築し、「企業としてどのような価値を提供していくか」フォーカスする必要があるといいます。
メルカリの現時点でのAI活用率は95%に達しており、2,000人を超える企業としては高い水準です。ハヤカワさんが入社した2024年7月時点で活用率は65%程度でしたが、30~40回におよぶ勉強会の実施やガイドラインの策定など、ひとつずつ積み重ねていくことで活用が広がりました。現在では各チームが積極的にAIを活用する状態となっているものの、「100%を目指すべきであり、まだやるべきことは残っている」とハヤカワさんは語ります。
メルカリのAI活用は主に2つの軸で展開されています。ひとつは、プロダクトサイドにおける顧客への価値提供にAIを活用する取り組みで、もうひとつは組織改革です。組織改革の一環として、100名規模の「AI Task Force」が発足しており、働き方の再設計や事業成長の促進に取り組んでいます。
さらに、社内QA自動応答システムをはじめとするAIエージェントの活用にも注力しています。例えば「HiYo-Chan」は、社内で頻出する問い合わせに対して過去の回答データを基に自動で応答をサジェストする仕組みで、特定の部門に繰り返し寄せられる質問の対応効率化に貢献しています。
画像提供:メルカリ
また「Socrates(ソクラテス)」は、社内のナレッジやデータベースに対し、SQLなどの専門知識がなくても必要なデータを抽出・分析できるAIツールです。これにより、データ分析のハードルが下がり、非エンジニアのメンバーも意思決定に必要な情報へアクセスしやすくなっています。
こうしたAIエージェントの導入に向けて、メルカリでは社内情報の整理や環境整備が各部署で進んでおり、AIエージェントの活躍しやすい基盤づくりが今後の重要なステップとして位置付けられているといいます。
画像提供:メルカリ
人とAIのバランスをどう考えるべきか

両社の事例を聞いた友澤さんは、次のように問いかけました。
「成田さんとハヤカワさんのお話をうかがいながら、パーソルテンプスタッフでもよく話題にのぼるテーマを思い出しました。人材会社である当社では、これまで人によるキャリアアドバイスの提供を中心としてきたため、『人とAIのバランス』という議論が必ずといっていいほど持ち上がります。この点について、お二人はどのようにお考えでしょうか」
ハヤカワさんは「難しい問いですね」と前置きしつつ、次のように語りました。
「私は『人間にしかできない仕事』という表現をなるべく使わないようにしています。そうした前提を持ってしまうと、かえって自分たちの可能性を狭めてしまうためです。AIとのバランスにこだわるよりも、その概念にとらわれずに考えることが大切ではないでしょうか。
確実性の高いことはAIで設計できますが、不確実性の高い事柄や『人間がしたい仕事』は残ると思うので、それが何かは考え続けています」

成田さんもハヤカワさんの考えに同意し、次のように続けました。
「私も『AIにしかできない』『人間にしかできない』という分け方はしていません。AIは人間の代わりに業務を行う存在というより、人が何かをする際に助けてくれるパートナーのようなものだと考えています。人間だけでゼロから作業していては効率が上がらないところを、AIをうまく活用することによって、より早く業務を進めたり、別のことに集中したりできるようになるのです。
膨大な情報の収集や整理、提案まではAIに任せられますが、それで終わりではありません。AIによる出力はあくまで“叩き台”であり、それをいかにブラッシュアップし、創造的なアウトプットに仕上げられるかが人間の重要な役割です」
その上で、成田さんは「例えば日清食品らしいクリエイティブの制作においても、AIを活用してベースとなる部分を整え、ブラッシュアップし、そこに人間が独自性や面白さを加えていくことが重要」とも述べました。
成田さんの話に対し、ハヤカワさんは次のような見解を示しました。
「私も日清食品さんのテレビCMがとても好きなのですが、あのようなユニークな表現はAIには生み出せないと思います。LLM(大規模言語モデル)は確率的にもっともらしい出力をする特性があるため、基本的には模倣的で平均的なものしか出てきません。日清食品さんのようなオリジナリティあふれるクリエイティブは、LLMでは再現が難しく、まさにそこに人間の創作性が発揮されるのだと思います」
常日頃からAIと対話を

最後に、登壇者3名から参加者に向けて、次のようなメッセージが語られました。
「メルカリと博報堂さん、トヨタさんが共同で実施したリサーチによると、生成AIの業務活用が上手な方は、プライベートでもよくAIを使っていることがわかりました。皆さんもまずは気軽に、仕事以外の場面でも使っていただくと、見えるものが変わってくると思います」(ハヤカワさん)
「『AIは必ずヒントをくれるので、常に対話を心掛けてください』とメンバーにはよく話しています。
マーケティング業務は情報収集から企画、提案まで多岐にわたり、生成AIとの相性が良い領域です。参加者の皆さんの中にも、AI活用を推進する立場にある方が多いのではないでしょうか。
私自身、2年半にわたりAI活用を推進してきましたが、うまくいかないことも多々ありました。それでも、世の中が急速に変化しているこのタイミングで、変革を推進する立場を担えるのは本当に幸運なことだと感じています。困難も含めて、楽しみながら取り組んでいただけたらと思います」(成田さん)
「AIはマーケティングに限らず、あらゆる業務領域で活用の可能性を秘めています。今回の話を参考に、マーケティングの枠を超えた幅広い視点でネクストアクションを考えていただければと思います。ハヤカワさん、成田さん、本日は貴重なお話をありがとうございました」(友澤さん)
Profile
成田 敏博(なりた・としひろ)
日清食品ホールディングス株式会社
執行役員 CIO グループ情報責任者。
1999年、新卒でアクセンチュアに入社。公共サービス本部にて業務プロセス改革、基幹業務システム構築などに従事。2012年、ディー・エヌ・エー入社。グローバル基幹業務システム構築プロジェクトに参画後、IT戦略部長として全社システム企画・構築・運用全般を統括。その後、メルカリ IT戦略室長を経て、2019年12月に日清食品ホールディングスに入社。2022年4月より現職。
ハヤカワ五味(はやかわ・ごみ)
株式会社メルカリ AI strategy
株式会社ウツワ 代表取締役。
多摩美術大学在学中、株式会社ウツワ設立。「feast」「ILLUMINATE」など複数のD2Cブランドを立上げる。2022年、ILLUMINATEを株式会社ユーグレナに売却。2024年7月より、メルカリで生成AI推進を担当。
女性の生成AI利用率を上げるべく、SNS発信や勉強会を複数開催。SNS総フォロワー21万超、AbemaPrimeレギュラー出演など。著書『私だけの選択をする22のルール』(KADOKAWA)。
友澤 大輔(ともざわ・だいすけ)
パーソルテンプスタッフ株式会社 執行役員CMO。
1994年ベネッセコーポレーションに入社。その後ニフティ、リクルート、楽天などを経て、2012年ヤフー入社、マーケティングイノベーション室を新設。2018年10月パーソルホールディングスへ転じ、2019年4月よりグループデジタル変革推進本部本部長 CDOに就任。グループ全体のデジタル変革を推進するために中期事業計画策定から各社協働プロジェクトを推進。 2021年4月に東京海上ホールディングスデジタル戦略部のシニアデジタルエキスパート兼イーデザイン損害保険CMOに就任。2024年4月より現職。
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