「売上は伸びているのに、利益が伸びない」「新商品を次々と発売した結果、利益率が下がった」――経営者やマーケターなら、こうした状況に心当たりのある方がいらっしゃるのではないでしょうか。その背景には、売上の「質」という視点の欠如があり、結果として新商品投入の罠にはまってしまう企業が多いそうです。
「Marketing Native Fes 2025 Autumn」の特別セッション1では、「ブランドを強くする経営とマーケティング戦略」をテーマに、ポーラ 代表取締役社長の小林琢磨さんとStrategy Partners 代表取締役社長の西口一希さんが登壇。「良い売上」と「悪い売上」の違いをはじめ、多くの企業が陥りがちな「ミルフィーユの崩壊」、マーケターが意識すべき経営視点などについて、ポーラの事例も交えながら語り合いました。
本記事では、対談の中から、マーケターが特に注目すべきポイントを厳選してお届けします。
(文:和泉 ゆかり、構成:Marketing Native 編集長 佐藤 綾美、撮影:永山 昌克)
目次
「良い売上」の定義と、その重要性
セッションは、西口さんによる「良い売上」の定義とその重要性に関する説明からスタート。セッションテーマである「ブランドを強くする経営とマーケティング戦略」を考えるうえで、前提となる知識が共有されました。

西口さんによると、売上には「良い売上」と「悪い売上」があり、その違いを理解し、意識することがビジネスの成功の鍵になるといいます。
例えば、収益構造を「売上原価」「販売管理費(販管費)」「営業利益」の観点で分析すると、同じ1万円の売上でも、新規顧客から獲得した場合は多くのケースで営業利益がマイナスになります。これは、商品の開発費用や組織の人件費など、新規獲得に関わる販管費がかさむためです。
一方、既存顧客から1万円の売上を獲得した場合は、販管費が抑えられるので営業利益が生まれます。仮にここでも利益が出なければ、そのビジネスは赤字になってしまいます。
この構造はBtoB、BtoCを問わず、多くのビジネスモデルに共通して見られるものであり、「1:5の法則」(新規顧客の獲得コストは既存顧客の5倍かかるとする法則)と同じような考え方です。
まとめると、2回目以降のリピート顧客から生まれる営業利益の高い売上が「良い売上」、損失を出すのが「悪い売上」です。管理会計上では「良い売上」と「悪い売上」が合算して表示されるため、この重要な違いが見えづらくなっています。
「経営視点で考えると、良い売上を最大化し、悪い売上を最小化して売上を伸ばしていくことが課題となります。マーケティングにおいてもこの視点を持つことが大切です」(西口さん)
マーケティング組織においては、CRMやカスタマーサクセス担当者が「良い売上」に紐づく業務を担い、新規獲得の担当者は「悪い売上」と向き合うことになります。両者のバランスを保ちながら成果を上げるには、売上の構造的理解が欠かせません。

続いて「価値の本質」についての説明があり、ここでは西口さんが『「価値」が与える価格・費用へのダブルインパクト』と呼ぶ考え方が紹介されました。
価値が高い商品には、価格を引き上げる余地があります。代替性が低いため、価格を上げても顧客が離れにくく、引き続き購入してもらえる可能性が高いからです。加えて、自発的に継続購入されやすいため、広告費などの追加費用も抑えることができます。
一方、価値の低い商品は価格を下げざるを得ない状況に陥ります。価格を上げると顧客が競合他社に流れるリスクが高く、むしろ割引しなければ購入してもらえないケースもあるでしょう。購買を促進するには、広告費などの追加費用も必要です。
「価格の引き上げが可能な状況に導き、費用を抑制できる状況を作れているか。これこそが、経営とマーケティングをつなぐポイントだと考えています」(西口さん)
画像提供:Wisdom Evolution Company
「ミルフィーユの崩壊」に学ぶ、商品戦略の落とし穴
西口さんがこれまでに関わってきた企業では、新商品を次々と展開することによって売上と利益構造が悪化するケースがよく見られたといいます。西口さんはこの現象を「ミルフィーユの崩壊」と表現しています。
新商品をリリースした当初は売上が伸びても、多くの場合、やがて頭打ちになります。たとえロイヤルユーザーであっても、一定の割合で離反が発生するためです。
売上を成長させる基本は「顧客数の増加」と考えると、離反を上回る数での新規獲得と離反顧客の復帰が欠かせません。そこで新規獲得を目指し、2品目、3品目…と新商品を次々に展開していくと、利益率が次第に悪化します。
例えば美容商材の場合、初回商品がヒットしたとしても、2品目以降は派生商品(ライン拡張)となり、リピート率の低い商品になる傾向があります。化粧水がヒットした後に乳液、美容液、アイマスクなどを展開しても、派生商品は軒並みリピート率が低く、化粧水が最も継続使用期間の長い商品となるケースが多いそうです。
リピート率の低い商品を新規顧客に販売すればするほど「悪い売上」の比率が拡大し、既存顧客から得られる「良い売上」が減少します。その結果、価格を下げざるを得なくなり、広告費をはじめとするコストも積み重なっていきます。

「これまで450社以上からご相談を受けてきましたが、多くの企業がこの構造に陥っていました。『売上は維持できているが利益率が悪化している』『売上も頭打ちして厳しい状況になっている』などのケースがよく見られます」(西口さん)
では、「ミルフィーユの崩壊」を回避するにはどうすべきか。解決策は、初回商品の拡大に注力することです。2品目以降への投資を抑え、既に実績のある初回商品の認知拡大と購買促進に集中すると、ベースとなる売上を押し上げることができます。そのうえで、2品目、3品目と売上を積み重ね、派生商品も適度に展開していく――つまり、「ベストセラーを軸に新商品を投入する」「定番商品とその他の商品を巧みに組み合わせる」といった戦略がビジネスを成長させるうえでは重要です。
顧客構造に基づいて議論する重要性
「ここまで説明した構造を理解している経営者は、残念ながらまだ少ないのが実情です」と語る西口さん。そんな中で、構造を深く理解したうえで経営に取り組んでいると感じたのが、ポーラ 代表取締役社長の小林さんだったといいます。
「小林さんが前職のオルビスで改革に携わっていた頃、新商品の展開方法やプロモーションの打ち出し方などから、構造を的確に捉えたうえで経営されていることが、外から見ていても伝わってきました」(西口さん)

セッション内では、小林さんが現在率いるポーラにおいても、まさに「ミルフィーユの崩壊」と呼ばれる現象が実際に起きていたことが明かされました。ポーラではSKUの増加、リピート率の低下、在庫保管費や商品評価損の拡大といった負の連鎖により、売上維持のために新商品の投入を続けざるを得ない悪循環に陥っていたといいます。
こうした状況を受け、小林さんが社長就任後にまず着手したのは、「マーケティング」という言葉の再定義でした。従来、同社内で「マーケティング」は新規顧客向けの広告施策を指していましたが、小林さんは「マーケティング=顧客価値創出のプロセス全般」と再定義し、新規獲得のみならず既存顧客との関係構築や価値向上も包含する言葉として、組織全体に浸透させていったそうです。
また、小林さんは、顧客構造に基づいて経営課題を捉え、議論する重要性についても強調しました。ポーラにおいても、コロナ禍を契機にリアルチャネルを通じた既存顧客からの売上が落ち込む中で、ECへの投資が強化されていたといいます。しかし、ECは新規顧客の獲得コストが高く、LTVも既存顧客に比べて低くなる傾向があるため、売上の反転が難しい状態になっていました。既存顧客の離反を防ぐ施策に注力すべきタイミングで新規獲得に予算を集中させたことが、全体の売上低下を招く要因になっていたといいます。
顧客構造の理解に関連して、小林さんはコロナ前後に多く見られた失敗例についても次のように見解を述べました。
「コロナ禍でECへの注目が高まったものの、収束後は再びリアルでの購買行動が主流に戻り、EC専売企業の多くが苦戦しています。これはチャネルの問題ではなく顧客構造の問題です。
重要なのは、リアル・デジタルといったチャネルに捉われず、顧客構造を軸として企業が保有するすべてのアセットを総合的に活用し、LTVを最大化することです。ECやダイレクトマーケティング経験者は構造を把握する力に長けているので、既存のリアルアセットを掛け合わせれば、より効果的なマーケティングが可能になるでしょう。
当社をはじめ日本企業の多くは、多様なアセットを保有しているにもかかわらず、それらを全体で活用しきれていないのが課題だと感じています」(小林さん)
利益創出に向け、マーケティングは経営と密に連携を

小林さんの話を聞いた西口さんは「マーケティングに長年携わってこられた小林さんは、廃棄損やサプライチェーン、ROA(総資産利益率)といった経営者の視点をどのように身につけられたのでしょうか」と問いかけました。
これに対し、小林さんは「経営視点を獲得したきっかけは、社内ベンチャーとして立ち上げたDECENCIA(ディセンシア)での経験にあります」と語りました。資金に余裕がない状況で、毎日のように口座残高を確認しながら事業を運営する日々が続き、在庫によってキャッシュが流出していく重みを痛感したそうです。
「時には、月末の支払い予定額に対して、口座残高が著しく不足していることもありました。このような状況では、商品の仕入れによってキャッシュが流出し、売れなくても在庫の保管料として毎月費用が発生するため、シビアな判断が要求されます。ユニットエコノミクス、すなわちCACとLTVについて常に意識せざるを得ない環境でした」(小林さん)
こうした経験を通じて、マーケティング活動が財務指標に与える影響を深く理解することとなり、それが後の経営判断の重要な基盤になったといいます。
「事業経営において、経営戦略とマーケティング戦略は本質的に同義であり、利益創出という共通の目標に向けて密接に連携すべきものです。顧客理解やお客さまへの高い解像度は経営判断においても重要な要素であり、お客さまと常に向き合っているマーケターの強みだと思います」(小林さん)
「このセッションで『マーケター出身だからこそ経営に活かせている視点・考え方』というトークテーマがありましたが、小林さんのお話を聞いて、その問い自体を見直す必要があると感じました。『マーケター出身だから』と限定的な視野ではなく、むしろ『経営視点で考えたときに、マーケティングがどうあるべきか』という順序で考えるべきではないでしょうか。
本日は小林さんから示唆に富んだお話をうかがうことができ、私自身も学びの多い時間となりました。ありがとうございました」(西口さん)
Profile
小林 琢磨(こばやし・たくま)
株式会社ポーラ 代表取締役社長。
2002年ポーラ入社。2010年グループの社内ベンチャーとして立ち上げた敏感肌専門ブランドのDECENCIA(ディセンシア)代表取締役社長に就任、同ブランドを売上約50億円のビジネスに導く。2017年オルビス マーケティング担当取締役、2018年代表取締役社長に就任。リブランディング、構造改革を実行し再成長に導きV字回復を実現。2025年ポーラ社長に就任。
ポーラ・オルビスホールディングス取締役を兼務。早稲田大学大学院でMBA(経営学修士)取得。
西口 一希(にしぐち・かずき)
株式会社Strategy Partners 代表取締役社長
Wisdom Evolution Company株式会社 代表取締役社長。
P&Gにてブランドマネージャー、マーケティングディレクターを歴任。ロート製薬 執行役員マーケティング本部長として60以上のブランドを担当。ロクシタンジャポン代表取締役、過去最高利益達成に貢献。アジア人初のグローバルエグゼクティブコミッティメンバー。スマートニュースの日本および米国のマーケティング担当執行役員として参画し、時価総額1000億超えに貢献。経営コンサルティングと投資業務を行うStrategy Partners創立、M-Forceを共同創業。2024年Wisdom Evolution Company創業。
主な著書に『たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング』(翔泳社)、『企業の「成長の壁」を突破する改革 顧客起点の経営』(日経BP)、『良い売上、悪い売上 「利益」を最大化し持続させるマーケティングの根幹』(翔泳社)などがある。
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